2017年11月23日(木)の「ビーバップ!ハイヒール」にて、「日本人だけが知らない!?世界が愛した浮世絵の魅力」というタイトルで、世界に誇る日本の芸術作品である浮世絵に関する様々な魅力な謎について放送。
浮世絵の代表とも言われる江戸時代の絵師、歌川広重の「東海道五十三次」や葛飾北斎など、浮世絵にまつわるエピソードが紹介されました。
Contents
日本人が意外と知らない!浮世絵は世界でも話題の芸術作品
浮世絵はイギリスのロンドンにある大英博物館にて富嶽三十六景で有名な「葛飾北斎展」が開かれ、浮世絵をひと目見ようと行列ができるほど。
1999年に発行されたアメリカの雑誌「ライフ」では、この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」に、エジソンやリンカーンと並び日本人で唯一葛飾北斎がランクインするほどです。
また、浮世絵はおよそ150年前のヨーロッパでもブームを巻き起こし、かの有名なゴッホやモネも、浮世絵に影響を受けたと思われる作品を残しています。
浮世絵には日本人が知らない謎がたくさん
今回番組で浮世絵について解説するのは、歴史研究家の福田智弘さん。著書「浮世絵の謎」など、日本の歴史に関する本を多数執筆しておられる方です。
福田さんいわく「浮世絵には絵師が密かに描いた仕掛けやメッセージがたくさん描かれている」とのことで、その隠されたメッセージを読み解くことで、様々なエピソードを知ることができるようになります。
「東京三ツ股の図」にスカイツリーらしき建物?
隅田川近くの風景を描いた歌川国芳の作品「東京三ツ股の図」には、江戸時代には存在しないはずの東京スカイツリーと思われる建物が描かれています。
スカイツリーと思われる建物は、諸説ありますが井戸を掘るための櫓(やぐら)と思われていますが、河口近くのため井戸のを掘る場所としてはあまりオススメできないとか。
浮世絵は当時の風景や町並みを完全に残しているというわけではなく、絵師によるアレンジが付け加えられることも多く、スカイツリーらしき建物もひょっとしたら歌川国芳によるアレンジという説もあります。
日本橋と2匹の犬のおしりが示すものとは?
こちらは歌川広重の「東海道五十三次」の日本橋。
日本橋は東京~京都間を結ぶ東海道の始まりの場所であり、江戸時代の街の賑わいや活気が描かれている作品です。
しかし、この絵の右下の橋の近くに描かれている犬のお尻がある所は、当時の地図によれば罪人の晒し場があったとされています。
戸塚の絵は2種類存在する
こちらは「東海道五十三次」の戸塚。6番目の宿場町です。
この戸塚の絵は左下に描かれている馬と山の部分異なる2種類の絵が残されています。
実はこの馬に乗った人物が降りているところにある建物は米屋。米屋の前で人が降りる姿を見て、米相場が下がることを連想させるということで、描き直されたと言われています。
また、山の部分も米相場が乱高下する事を連想させるために、描き直されています。
雪が降らない場所なのに雪国アレンジの浮世絵
こちらは「東海道五十三次」の蒲原夜之雪。東海道五十三次の中では珍しく雪が描かれた雪国のような絵です。
しかし、蒲原は現在の静岡県にあたる場所で、絵のように大雪になることはありません。
なぜ雪の降らない場所をこのように描いたかというと、蒲原の地は鎌倉時代の有名な武士、源義経にまつわる恋の伝承が残されている地と言われています。
義経は兄の源頼朝に追われる身となった最中に、浄瑠璃姫という女性と出会います。しかし、道中で病に伏した義経は、蒲原にて浄瑠璃姫の介抱を受け病気を克服。愛の証に、薄墨と呼ばれる笛を授け再開を誓ったと言われています。
しかし、その二人の逢瀬を知った浄瑠璃姫の母は激怒し姫を幽閉。悲嘆に暮れた姫は川に身を投じて亡くなったという悲しいエピソードがあります。
この伝承を知った広重は、蒲原の絵をあえて雪国のように描くことで、義経が向かった奥州平泉を意識した風景にし、笛の薄墨の名前にあるようにあえて鮮やかさを抑えた墨絵のように仕上げたと言われています。
稀代の天才浮世絵師・葛飾北斎の仰天エピソード
富嶽三十六景を手がけた江戸時代の有名な浮世絵師である葛飾北斎。
北斎の一生は、富嶽三十六景で描かれている大波のように、まさに波乱万丈で破天荒な生き様だったといわれてます。
師匠を掛け持ちして破門
北斎の若かかりし頃は、様々な流派を学ぶべく複数の師匠のもとに入門。
しかし、当然バレずに平穏に済む…ということはなく、師匠にバレて大目玉!そのまま破門されてしまったというエピソードがあります。
当時は流派ごとに確執や派閥もあり、いわば師匠同士でライバル関係ということも珍しく無いので、師匠にしてみれば北斎のような掛け持ちをする弟子は、スパイと思われることもあったとか。
歌川広重よりも30年前に東海道中五十三次を題材にしていた
当時の浮世絵は役者絵や美人画などの人物をモチーフにした絵が一般的だったなか、北斎はあえて風景画を描いたと言われています。
その作品の一つが「東海道五十三次」で、さきほど紹介した歌川広重が描く30年前に描いていたとのこと。
「東海道五十三次」といえば、歌川広重の作品を思い浮かべる方も多いですが、実は北斎も描いていたというのはあまり知られていません。
絵を描くために引越し
絵を描くこと以外は無頓着だった北斎は、生涯で93回も引っ越したというエピソードがあります。
北斎にとっては一つのところに住むよりも、引越しを重ねて新しい刺激を得るほうが、作品作りの励みになったと言われています。
新たな発想を生んだ「蛸と海女」
蛸と女性が絡んだ北斎の名作「蛸と海女」。北斎にしかできない大胆且つ奇抜な発想で描かれた春画です。
多数の触手と絡む女性の絵に当時の町人だけでなく、今を生きる現代人もドキッとする名作です。
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