大阪出身の芸能人の赤井英和(あかいひでかず)さんをご存知でしょうか。
赤井英和さんといえば、大阪では知らない人はいないヤンキーとして有名というエピソードであったり、プロボクサーとして華々しい活躍をしたエピソードであったり、俳優やタレントとして幅広く活動しているなどなど、実に多彩で多くのエピソード、もとい武勇伝や伝説が語られている有名人です。
地元大阪ではヤンキーやボクサー時代の印象が強いために、控えめに言って「凶暴」という印象を持つ人も多いとか。
今回は、赤井英和さんに関する知られざる武勇伝の数々をおまとめします!
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赤井英和のプロフィール
赤井英和さんは大阪府大阪市西成区出身。 1959年8月17日生まれ。
赤井英和さんといえばアリさんマークの引越社のCMでお馴染みですが、現在では俳優・タレントとして活動する一方で、過去には大阪一のヤンキーとも呼ばれ、浪速高校入学と同時に始めたボクシングでインターハイ優勝、そのまま大学に進学してプロボクサーとして活躍した経歴もあります。
学生時代は大阪ヤンキー界でもその名を知らない人はいないほどに恐れられていたという伝説もあり、赤井英和さんに関する武勇伝の数々が大阪の人たちの間で残っているとのこと。
ウソかホントかわかりませんが、冷蔵庫を投げたり、テレビをぶん投げたというぶっとんだエピソードもあるとのことです。
ボクサー時代は攻撃的な戦闘スタイルでKOを積極的に取ることから学生時代から注目を浴び、シルベスター・スタローン主演のボクシング映画「ロッキー」になぞらえて「浪速のロッキー」と呼ばれたこともあります。
ボクシング引退後は地元でボクシングの指導者として活動していましたが、1988年の映画「またまたあぶない刑事」にてゲスト出演したことがきっかけに俳優業に進出。
現在は、大阪でバラエティ番組に、東京では俳優として活動しています。
ちなみに、地元大阪では学生時代の赤井英和さんのことをよく知る人と飲みに行くことも度々あり、芸能人ながら地元の人と酒を交わすフレンドリーな一面もある大阪が生んだ元祖実力派有名人です。
喧嘩は負けなし!大阪一のヤンキーとして有名に
赤井英和さんは中学高校と喧嘩で負けたことはなく、その恐ろしさが大阪中に知られていたとか。
なお、自伝によれば喧嘩の数は指で数えられるくらいしかしておらず、大阪一を決めるような道場破りのような喧嘩ではなかったとのことです。
まさに番長のように恐れられていた赤井さんですが、喧嘩のスタイルは拳で圧倒せず、風格や態度で相手を圧倒するタイプのヤンキーだったのかもしれません。
高校の成績が悪く進級できなかった
そんな赤井英和さんの学生時代は、まさに破天荒なエピソードがてんこ盛り。
高校時代はボクシングでインターハイ優勝という輝かしい功績を残されていますが、肝心の高校の成績は非常に低空飛行。そのため高校生ながら進級ができず留年してしまったというエピソードも。
進級ができないとわかった時、そのまま学校をやめるつもりだった赤井さんは、当時のボクシングの顧問の先生に強く説得されたことで学校に残るを決意を決めたとのこと。
なお留年したために高校時代に自動車の免許を取得。
軽トラで通学し、学校の帰りに友達を軽トラの荷台に乗せて帰っていたという仰天エピソードもあります。
友達の居酒屋で暴れて店をめちゃくちゃに
赤井英和さんの幼稚園時代からの友達である山下さんが経営している居酒屋「ぜんきち」が、かつて移転する前に開いていた店ではこんなエピソードも。
赤井さんは友達と一緒にビールを大ビン4ケースも飲み干して2人ともべろんべろんに酔っ払ったあと、どちらが支払いをするかでもめて口論。
しかし、お酒が入っていたために口論では収まりきらず、殴り合いの大喧嘩に発展しお互いに血みどろになるまで乱闘騒ぎ…。
店の椅子が壊れるわ、ショーケースは割れるわ、テレビは投げるわの大惨事になったせいで、支払いもうやむやのままになってしまい、現在に至るまで代金は払われてないとのことです(店主談)。
ちなみに「ぜんきち」はもつ料理が有名な居酒屋。大阪市西成区に店を構えており、花園駅の近くにあります。
北新地の飲み屋でお客さんに奢られる
赤井英和さんは時間があると大阪の飲み屋街に出かけることも多く、同席したお客さんと一緒に飲むことも多いとか。
一緒に飲んだときは飲んだ代金を赤井さんが奢るのですが、なぜか北新地のお店では逆にお客さんに奢られてしまうことが結構あるとのこと。
ちなみに、奢られるときの赤井さんは「いらんいらん」と断るのではなく。「ありがと!ごっつぉさん!」と言って気前よく奢られているという武勇伝が語られています。
まとめ
赤井英和さんと縁のあるお店といえば、大阪の道頓堀にある串カツの「だるま」も有名ですね。
串カツだるまは、赤井英和さんが学生時代からよく通っていた串カツ店で、過去に店長が病気になってしまって店をやめようとしていた時に、赤井さんお店を存続させるべくボクシング部の後輩に修行をさせて閉店の危機を回避。
その後、道頓堀の他にも法善寺と心斎橋にもお店を展開し、大盛況になったというエピソードがあります。
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